ネパール男性暴行死

久しぶりに許せない、腸わたが煮えくり返る事件ですね。
誰が殺されても国籍は関係ない、という意見もありますが、自分もそれは分からないこともないです。
ですが、やっぱり現実は関係すると思います。
関係するからこそ、代わってネパールの方々に詫びたい気持ちがあります。
また、ある記事では「日本の街は安全、日本人は優しいというイメージが崩れてしまった」という声もありますし、そういう印象を持たれても致し方無いと思います。


反省しているのであればまだしも、ネットで拡散されてるブログやmixiコミュを見て引いてしまいました。
こんな世間と感覚がズレた連中もいるんだなぁ、と。
いつもの持論で、母数が増える程どうしても一定数異常な人間が現れるのはやむを得ないのかもしれませんが、せめて異常と分かった以上社会から完全に隔離して欲しいです。
恐らく死刑になることは無さそうだし、何年かしたら社会復帰するのでしょうけど、恐ろしいです。


ダマラさんのご冥福をお祈り致します。


http://megalodon.jp/2012-0123-0121-58/www.dclog.jp/en/2191108/233317618
http://mixi.jp/view_community.pl?id=4812479



日本凶悪犯罪大全 (文庫ぎんが堂)

日本凶悪犯罪大全 (文庫ぎんが堂)

<ネパール人暴行死>夫は無抵抗のまま命を奪われた


毎日新聞 1月30日(月)8時29分配信


 大阪市天王寺区でレストランを経営するネパール人のビシュヌ・プラサド・ダマラさん(42)が同市阿倍野区の路上で16日早朝、若い日本人男女4人に殴る蹴るの暴行を受け、死亡した事件は故国を離れて日本で暮らす外国人たちに大きな衝撃を与えた。同郷の人の相談相手となり、日本に根を下ろす決意をしていた彼を、若者たちはサッカーボールのように数十回も蹴ったという。ダマラさんの日本人の妻(36)は29日、「まだ現実を受けとめられない」と心情を語った。【藤田祐子】


 16日午前4時過ぎ、従業員の1人から携帯電話で助けを求められました。彼はパニックを起こしていて、何を言っているか、何が起きたのか、まったく分からなかった。とにかく言われた交番に駆けつけましたが、夫はいない。状況がのみ込めないまま、英語ができない警察官との間に立って従業員2人の話を通訳しました。少し離れた場所で若い男女が暴れたり、暴言を吐いていて、怖かった。


 夫は病院へ運ばれたと聞いたのですが、警察無線で心肺停止、という声が聞こえ、その後の記憶はほとんどありません。あの日夫は、2日前の朝に出たぎっくり腰のような症状が残っていて、ゆっくりとしか歩けなかった。逃げられず、抵抗できなかったのも体調が悪かったからではないかと思う。それなのに、従業員2人を守らなければという責任感で現場に残ったのか……「どうしてなの」と聞けるなら聞きたい。


 葬儀は故郷のネパールで営みました。6〜7年前、ふとした会話の流れで「僕が死んだらカトマンズに送ってガンジスに帰してね」と言われたことを覚えていて、せめてその望みはかなえなければ、と。予期しない形で現実になってしまった。葬儀は21日に聖地として知られるカトマンズのパシュパティナート寺院であり、遺灰は寺院前を流れるガンジス川支流に流されました。葬儀には記帳だけで500人の名前があったと聞き、夫は慕われていたのだと改めて悲しく思いました。


 夫とは大学の卒業旅行でトレッキングを案内してもらって知り合い、2年後に結婚しました。尊敬できる人でした。


 容疑者が全員逮捕されたことは、火葬の最中に実家から国際電話で知らされ、それだけは義父母にも報告できました。(容疑者には)今はまだ何も感情が湧いてきません。夫がいなくなってしまったことも、心の底から受け止められていません。なぜ死ななければならなかったのか、納得できる事実が知りたいのです。


 ◇気さくな人柄 礼儀、法重んじ


 記者は今月2日、取材で親しくなったチベット人の友人に案内され、天王寺区のレストラン「ネパリバンサ」(ネパールの台所の意)を訪ねた。「ネパール人もチベット人も分けへだてしない、いい人なんだ」と友人は紹介した。店内にはヒマラヤの写真が飾られていた。ダマラさんは初対面の私にも「カトマンズから帰ってきたばかり。日本は寒いよ」と気さくに話しかけた。


 来日12年。ネパール料理店を開くことを夢見て日本の工場に勤め昨年7月に念願をかなえた。20代の頃は山岳ガイドとしてネパール各地の山に欧米の旅行者を案内したという。「ネパールは冬が一番いい季節です。山がきれいです」。日本語で場をなごませ、「味はどうですか。口に合いますか」と熱心に尋ねた。トゥクパ(麺料理)のスープを「おいしい」と言うと「そうでしょう」と顔をほころばせた。


 ネパール人仲間によると、事件が起きたのは店で友人らと新年会をした後、20代の従業員2人を寮へ送る途中だった。突然襲われ、とっさに抵抗しようとする2人に「手を出すな」とネパール語で止めた。普段から従業員に「礼儀正しくしろ。法律を守り、トラブルは起こすな」と言い聞かせていたという。2人は110番通報を知らず、1人はダマラさんの妻に電話、1人は近くのコンビニに駆け込んだ。


 ヒンズー教で「十三日忌」に当たる28日、ネパール人ら数十人が大阪市内に集まって追悼の儀式を行い、現場で献花した。現場には事件を知った日本人が手を合わせるのも見かけた。中央区のレストラン店主はこう話した。「同胞を失って悲しい。4人が憎いが、彼らにも親がいて、今後刑務所で長い時間を失うことを悲しんでいるはずだ。一つの犯罪がたくさんの人たちの悲しみをつくる。ネパール人がそういう気持ちでいることを知ってほしい」


 ◇ネパール人暴行死事件概要


 事件は16日早朝、ダマラさんが日本人の男女4人に因縁をつけられ、暴行を受けて殺害されたもの。死因は外傷性急性脳腫脹(しゅちょう)。捜査関係者によると、4人は顔などを数十回蹴ったうえ、自転車を頭部に投げつけたという。4人のうち1人がダマラさんらとすれ違う際に転倒したことがきっかけで別の1人は「外国人に転ばされたと思い、腹が立って何度も蹴った」と供述しているという。2人が事件当日、残る2人が21日にいずれも殺人容疑で逮捕された。