犬肉祭り

各メディアが取り上げてますが、テキサス親父さんが少し前にこのことについて取り上げてたので、ちょうどその事を書こうと思ってました。



自分は犬肉食がだめというのが分かりません。
個人的に犬を食べたいとは思わないけど、◯◯はだめとか押し付けていたらシーシェパードの支援者と同じ思考になります。
どんな生き物であれ、大切な命を頂いて生かして貰ってるので、豚より鯨の命の方が大事という価値観は理解し難いところです。


で、ここまではテキサス親父さんと同じ意見ですが、テキサス親父さんは犬肉を得るための屠殺方法が野蛮だとの意見を言ってました。
自分はこれには賛同できないかな。
確かに残虐には思うけど、そもそも生き物を殺すこと自体が残虐ですし、極論は痛めつけないように殺そうと思ったら、全頭麻酔を掛けて屠殺しなければなりません。
自然界の生き物は、そんなこと意識しないと思います。
自分が海で溺れたら、そんなこと意識せずサメにむしゃむしゃ食べられるでしょう。
勿論動物によっては、獲物が暴れたりするから最初に急所を突いて殺すといった行動をことはあると思います。
テキサス親父さんは同じ理由でロブスターを食べないと動画で仰ってましたが、日本が好きでも活き造りや踊り食いは理解出来ないでしょうね。
翻訳では犬肉の屠殺方法について野蛮だと言ってるので、日本にこれらの文化があることを教えたら恐らく同じくそれは野蛮だと非難されるでしょう。


自分はそういうことで、どんな生き物でも食べて良いし、どんな殺し方をしても良いと思ってますが、じゃあ無差別に殺して良いかというと、勝手な人間の解釈かもしれませんが線引きが必要だとも思います。
その線引きは、食料にする、または守るためと医療のためで、そのために生き物を殺すことは致し方ないと思います。
この二つに共通するのは自分の命に関わることです。
医療については必ずしも命に関わるとは限りませんが、それでも健康というシビアなものに関わってる訳です。
よって、自分の命に関わる訳でもないのに、政治的抗議のために雉を殺す韓国は野蛮だと思います。
また、今記事を書き綴ってて思い浮かびましたが、殺さざるを得ない人間界の事情があるにせよ、保健所での処分は野蛮だと思います。
犬肉として食べられるなら自然の摂理に適ってますが、保健所で殺されることに何の意義があるだろうか。
自分だったら、同じ殺されるなら自然の摂理に従って他の生き物の血肉になった方がマシです。
勿論保健所の人を非難してる訳ではなく、そういった勝手な人間の事情を生み出してる現実をよく見て、無責任にペットを飼うことはやめましょうということです。

激しい非難浴びる“犬肉祭り”に反論も 「では牛肉も食べられないのか?」―中国メディア


XINHUA.JP 6月27日(木)13時32分配信


中国広西チワン族自治区の玉林市で毎年夏至の日に犬の肉を食べる「犬肉祭り」に対して、このところ、中国国内で激しい非難の声が巻き起こっている。動物愛護団体は、犬を食べることを禁止し、「犬肉祭り」を取り締まるべきだと訴えている。ただ、「では牛肉も食べられないのか?」との反論も聞こえる。紅網が伝えた。


近年、中国の伝統文化が一層注目を集めるようになった。地元政府が祭りを大々的に宣伝し、子どもたちには地元の祭りや文化を伝えることを教育の一環としている。地方の文化に対しては慎重な姿勢で対処しなければならない。「犬肉祭り」は玉林市で長い歳月をかけて形成された伝統だ。だが自然と人間の共生が提唱される現在、子どもへの教育でも動植物保護が強調されるため、「犬肉祭り」は社会の流れに逆行しているともいえる。


総じていえば、犬肉は食べてもいいが、「犬肉祭り」の開催には慎重になるべきということか。国家の百年の計である教育を重要視するように、文化も重要視しなければならない。


(翻訳 鄭来/編集翻訳 恩田有紀)