死刑

死刑が執行されたという事で、今日よくニュースになってました。


この事件、自分が幼少の頃の事件なので、記憶に無く、
事件の中身しか知らないのですが、
この犯人も腐ってますよね。


幼女誘拐して殺して、指食って、血を飲んで、
人間がやってはならない行為をしたあげく、
自分が死ぬときは、
「死刑制度と無期刑制度はともに残虐な刑罰なのであるのだ」と主張、
絞首刑については、
「踏み板(床板)がはずれて下に落下している最中は、
恐怖のどんぞこにおとしいれされるのである(人権の軽視になってしまいます)」
は?で、何?本当狂ってますね。


自分が幼少の頃の事件なので、もしその幼女が生きていれば、
今頃自分と同じくらいの年だろうし、そう考えると残念でならない。
将来がある子供を殺すのは一番許せない。


言葉悪いかもしれませんが、こういう人間は早く死刑で亡くなって貰いたいものです。
という事で、自分は死刑賛成します。
人間は社会的動物です。基本的には人は一人では生きられず、
どこかで誰かの力を借りて、互いに支え合って生きてます。
そうやって社会を形成して生活している中、
その社会を脅かす事をする人間が現れたら、
自分たちの安定した社会のため、また安全のため、
実力行使でもその人間を抑えようとするのが普通だと思うんですがね。
まぁ、人それぞれ考えあるからなんともですが。


死を持って罪を償うのはもちろんの事、
社会を脅かす危険因子を無くすために死刑を執行して欲しいです。
そんな危険因子が刑務所からひょうひょうと出て来て再犯とかどうかと思います。
この間のフィリピン人女性殺害して肉片持ってた事件じゃないですけど。
まぁ、犯罪者にも人権があるのかもしれませんが、
社会的動物であるはずなのに人を殺した時点で人権を捨ててる訳で、
そんな人間の人権は重く見れません。


なーんて思ってたりしますが、
住みにくくなりつつある社会を残念に思います…。。



夢のなか―連続幼女殺害事件被告の告白

夢のなか―連続幼女殺害事件被告の告白

<連続幼女誘拐殺人>最後まで反省や謝罪の言葉聞かれず…


 連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(45)の死刑が17日、東京拘置所で執行された。判決確定から2年余り。宮崎死刑囚は再審請求の意向を示し、死刑制度を批判する手紙も公表したが、鳩山邦夫法相は早期の執行を決断した。社会を揺るがした特異な事件の発生から20年。法廷で不可解な発言を繰り返した男からは、最後まで反省や謝罪の言葉は聞かれなかった。


 「絞首刑は残虐」。宮崎死刑囚は、月刊誌「創」篠田博之編集長に宛てた手紙の中で現行の死刑制度を批判する持論を再三展開した。同誌06年7月号によると、宮崎死刑囚は現行の絞首刑について「踏み板(床板)がはずれて下に落下している最中は、恐怖のどんぞこにおとしいれられるのである(人権の軽視になってしまいます)」と主張。薬物注射による執行の導入を訴えた。

 また、07年5月の手紙では「この国の現行の死刑執行方法だと、死刑確定囚の人は、刑執行時は恐怖とたたかわねばならず、反省のことなど考えなくなる」(同誌07年8月号)とも述べていた。

 篠田編集長によると、宮崎死刑囚からはほぼ毎月、手紙が届いた。幻聴を訴えたり、拘置所内で放送されたラジオ番組の内容を詳細に記すこともあった。しかし、10年以上にわたる300通以上の手紙の中で、被害者や遺族への謝罪はなかったという。

 執行を聞いた篠田編集長は「全く想定していなかった。極めて異例の早い執行だ」と驚きを隠さなかった。「彼は病気の影響もあって無頓着で、自分がどういう境遇にあるのか、よく分からない様子だった。死刑確定の意味についてもしっかり説明は受けていないようだった」と振り返った。

 06年1月に最高裁で上告が棄却された後、東京拘置所で面会した関係者に対し、宮崎死刑囚はほおづえをつきながら「(死刑は)何かの間違い」と語った。再審請求する意向を周囲に示していたという。

 なぜ、あのような事件を起こしたのか。この疑問を解こうと、臨床心理士長谷川博一・東海学院大教授は最高裁判決の前日から約2週間の間に8回、宮崎死刑囚と拘置所で面会した。だが、公判で「(犯行時に)ネズミ人間が出てきた」などと不可解な供述をしていた宮崎死刑囚は、面会でも「常識では通用しない答えが多い」(長谷川教授)。反省の言葉を口にすることもなかったという。


(Yahoo!ニュース)